鍼する左手 灸する右手
中堅鍼灸師のマツハリ先生と健康マニア宇宙人のキュウタロウ君のドタバタ鍼灸問答です
わかりそうでわからない、鍼灸の世界を垣間見てみましょう!
#16 陰陽論から見えてくるもの
キュウタロウ : 陰陽論について復習する必要があるって言ってたでしょ?だからさらにいろいろ教えてくださいな。
マツハリ先生 : 陰陽論は東洋医学の基本的な考え方のひとつだよね。陰と陽という二文字を象徴として物事が対立して存在することを表現している。これが陰陽論の基礎だね。
キュウタロウ : 陰陽っていうのは、象徴なんだね?
マツハリ先生 : そうだよ。陰的なものと陽的なものがあって、特徴によって陰か陽かのどちらかに振り分けることが可能なんだ。
キュウタロウ : 陰とか陽とかの特徴をもう一度教えてよ。
マツハリ先生 : そうだな。陰陽を区別すると加熱、遠心、拡大、動的など動きがあり、熱を発生させ広がる動きの特徴を持つものを陽と考える。反対に加冷、求心、縮小、静的な状態という特徴を持つものを陰と考えるんだ。どちらかが良い悪いということではないからね。両方とも同じくらい大切なんだ。
キュウタロウ : そういう特徴を見極めればどちらが陰でどちらが陽かわかるんだね?
マツハリ先生 : 試しにやってみようか?天地、日月、昼夜、主従、父母、進退、動静、表裏、開閉、大小、剛柔、強弱など、これらの対になる言葉はすべて陰と陽の組み合わせって考えていいんだよ。
キュウタロウ : 天、日、昼、主、父、進む、動く、表、開く、大きい、剛、強いっていうのが陽だね。
マツハリ先生 : よくできたね。瞬間的にわかるくらい感覚でわかってしまえばしめたものだね。それと陰陽五行説っていう考え方は、それぞれ分類できるよって考え方と同時に、もうひとつ大切な考え方があるんだよ。それはね、真ん中がいいですよってこと。これを中庸(ちゅうよう)って言うんだ。
キュウタロウ : チュウヨウ???
マツハリ先生 : 東洋医学っていうのは、バランスや調和、調整って言う言葉が特徴なんだよ。いや、それが目的といってもいいくらい。それでは何を調整する?何を調和する?ってなるかもしれないね。気でも感情でも人間関係でも何でもいいんだけど、中庸っていうのは多すぎず、少なすぎず丁度良くしましょうってことなんだ。
キュウタロウ : 多いほうがいいんじゃないの?お金だって時間だって。
マツハリ先生 : それはどうかな?お金が多ければ盗まれる心配がでてくる。時間が多ければ、退屈な時間も増えてしまう。なにごとにも丁度いい量っていうのがあるもんなんだよ。
キュウタロウ : そういえば、僕はさっきご飯食べすぎてお腹苦しい。。。
マツハリ先生 : そういう考え方はまだ東洋医学が理解できていない証拠だね。
キュウタロウ : 中庸って難しいんだね。
マツハリ先生 : 大切だけれど、会得するのが難しいのかもしれないね。孔子の『論語』にも「中庸の徳たるや、それ至れるかな」と過不足なく偏りのない心はすばらしいことなんだよって言っている。また老子の『道徳経』でも「足るを知るものは仙境」と丁度いいという心があれば仙人のような心でいられるって教えているんだ。
キュウタロウ : へぇ~。なんでも多ければいいってことじゃないのかぁぁ。
マツハリ先生 : 昔の本でも、書いてあるんだから、わかっているけど、なかなか実践できないってことだろうね。
キュウタロウ : 二つにわける考え方って西洋にもあるんじゃないの??
マツハリ先生 : これらの科学思考は二つに分ける考え方、つまり二元論のなかでも、単純に2個に分けるという意味で「二分思考」なんだよ。
キュウタロウ : ほらほら、あるんじゃないか。東洋だけの特権じゃないんだからね。
マツハリ先生 : 実はこの二分思考っていうのは、異質的でお互いに排除する関係にあるんだ。つまり、AとBがあるとすると、Bは非Aであるという定義になるわけ。
キュウタロウ : 東洋は違うの?
マツハリ先生 : 東洋思想、つまり陰陽論ではお互いを排除しない。むしろ、相手の中に対立するはずの要素がありますよって考えるわけ。これを「相補性」って言うんだよ。
キュウタロウ : 相補性?西洋とは違うの???
マツハリ先生 : 相補性っていうのは対立はしているんだけど、影響しあっているってことさ。AのなかにもBの要素が少しはある。BのなかにもAの要素が少しはあるって考えるんだ。
キュウタロウ : お互いの要素ねぇ。。。
マツハリ先生 : 昼間にも夜のような寒く静寂な日もあれば、夜にも昼間のような暑い日があるってことだよ。
キュウタロウ : 共通点が少なからずあるのか。。。
マツハリ先生 : それとは違って二分思考っていうのは、もう片方は関係ない。分けた方をどんどん細分化すれば何かわかるかもしれないってさらに興味が深まるんだ。
キュウタロウ : もっとわかりやすく。。。
マツハリ先生 : 人間を解剖してしまったら、人間じゃないって考えるのが東洋思想。だから臓腑や経絡や脳っていうものは概念的には大切にしているけれど、解剖の必要性をあまり感じないんだ。それにひきかえ西洋思想では、どんどん細分化しましょうって考える。臓器を細分化して器官、組織、細胞、、、そして最近では遺伝子(DNA)まで興味を広げているね。
キュウタロウ : マツハリ先生はサラっと説明したけど、すごいことなんだよね??
マツハリ先生 : そうなんだ。いまのことで2つの要素が含まれている。ひとつは江戸時代に東洋医学で解剖をやっていないのではない。解剖をする意味をそれほど感じなかった。その証拠に腸の長さの比率は西洋医学で通用するくらい正確に記録されていたんだ。あまり表には出てこないのは当時の文化の関係もある。人体の解剖が堂々とできる風潮じゃなかったからね。
キュウタロウ : それと?
マツハリ先生 : いまの西洋医学の課題というか問題ってことかな。細分化していくことで何らかのゴールがあると思っている。逆にいうとゴールが見つかるまで細分化、分析が止まらないんだよ。
キュウタロウ : 細分化、分析が進むことで新しい発見もあるよね?
マツハリ先生 : 当然、そのような恩恵はたくさんある。その一例として公衆衛生学や免疫学の進歩によって食中毒や伝染病がかなり予防できるようになったんだから。
キュウタロウ : でも、その恩恵が届かないところもあるわけだよね?
マツハリ先生 : 癌の研究や生活習慣病というものには手を焼いているだろうね。当然、東洋医学だって手を焼くところなんだけれども、それぞれ別のアプローチがあるわけだよ。
キュウタロウ : 西洋のアプローチは?
マツハリ先生 : 難しい病気だけど、もっと分析して原因を追求することが、いつか病気を根源的に治すきっかけになるのではないかって考えるわけさ。
キュウタロウ : 東洋のアプローチは?
マツハリ先生 : 難しい病気だけど、その人の心と体の調和がとれていれば、健康でいられると考えるわけさ。
キュウタロウ : ぜんぜん違うじゃんっ
マツハリ先生 : そうなんだよ。二つに分けるには分ける。そのことで、まったく別物と考えるか、どちらかを内包しているかっていうことでここまで考えが違ってくるんだ。
キュウタロウ : それでも何でこれほど違っちゃうの?おかしくない?
マツハリ先生 : それほど根本的な哲学的な思想は大きく影響するものなんだよ。
キュウタロウ : ちょっと説明してよ。
マツハリ先生 : 西洋も東洋も二つに分ける考えがあるわけだよ。ひとつは西洋の分析する方法。なぜ分析するかわかるかい?
キュウタロウ : わかるわけないじゃないか。
マツハリ先生 : まぁなげやりになるなって。いいかい、二つに物事をわけることを二元論っていうんだ。ただ普通に二元論って言っただけでは二つに分けて考えますってことだから東洋とそれほど変わりはない。ただ、西洋思想に影響を与えているものに宗教っていうものがある。特定の宗教というよりは、西洋の宗教は善なるものと悪なるものにわけて行動を戒めたりしたわけさ。
キュウタロウ : それでそれで?
マツハリ先生 : 善悪に分けるっていうだけならまだしも、善が良くて、悪が悪いってことになった。さらに進んで悪を憎み滅ぼすべきって考えてしまうんだ。ここで善悪二元論の誕生なんだよ。
キュウタロウ : 何言っていんだよマツハリ先生、悪は滅ぶのが当然じゃないか。
マツハリ先生 : おやおや、ちょっと冷静になろうよ。悪って誰にとって悪なの?
キュウタロウ : う、ううう。
マツハリ先生 : いいかい、善が絶対的に良くて、悪が絶対的に悪いっていうのは現実的にはすごく難しい話しなんだよ。例えば、人里を荒らす猿というのは、人間にとっては害悪だけど、猿自体に悪意があるのかは疑問だよね。
キュウタロウ : 生きるために仕方がないとすれば猿の気持ちもわからなくもない。。。
マツハリ先生 : だから、なにかに構わず善悪という価値観を押し通すのは本当の善なのか?という疑問があるわけさ。
キュウタロウ : まぁ、自分が善で逆らうものは悪だって主張は場合によっては怖い発想だよね。
マツハリ先生 : 自然を敵だと思うと自然を支配するとか、征服するっていう発想だよね。
キュウタロウ : 支配、征服か。。。
マツハリ先生 : 同じようにアンチエイジングっていうのはどうだろう?抗加齢医学っていう言葉があるけど、まさに善悪二元論の象徴的なセリフだよね。
キュウタロウ : そうだね。東洋だったらどう考えるの?
マツハリ先生 : 抗加齢っていうのではなくて、美しく年を重ねるって言うかな。60歳の人が40歳に見られるから嬉しいっていうのは、実はおかしい美的センスっていうことになる。60歳の人が素敵な60歳ですねっていうのが本当の良さなんじゃないかな。つまりシワを無理やり減らすというのではなくて、ハツラツと60歳を過ごすことが美しいって考えるわけさ。
キュウタロウ : 若いとか、痩せているっていうのは、そのほうがいいだろうっていう価値観であって絶対的な指標じゃないのにね。
マツハリ先生 : まぁそういうことになるね。抗加齢っていうのは、いいのか悪いのかは別にしてそのような欲(ニーズ)があるってことはよくわかるよね。そして、それが自然か不自然かは考えなおす必要があるね。
キュウタロウ : 人間が自然の一部か、それとも人間が自然を支配するのか。
マツハリ先生 : 前者が自然で、後者が不自然だね。
キュウタロウ : その答えが近年の問題として噴出しているんじゃないの?
マツハリ先生 : 悲しいけれど、そうかもしれないね。
キュウタロウ : 同じ分けるのでも、お互いが必要だってわかりあえば結果も違うだろうに。
マツハリ先生 : その通りさ。そして中庸といって、ほどよいバランスがとれれば問題なく過ごせるだろうね。
第16話を終えて
陰陽論は古代中国でおこった思想のひとつです。陰陽という言葉で難しくとらえたり、また単なる2分法として簡単に見過ごすと、その本質に近づけずもったいない気がします。
陰陽論が正しいのかどうかという議論は横に置き、古人はそのような思想・発想法を持っていたという事実は大切にしておきたい点でもあります。
抽象的な概念だからこそ、森羅万象多くの事象に応用発展が可能になります。
私は鍼灸師こそ、現代における陰陽論のプロであるべきだと思っています。(何よりも成否がはっきりとする治療という局面においては陰陽論の理解が結果としてはっきり現れるものだと思います)
そのような意味において、単なる治療法ではなく、陰陽論を体現する手段としての治療であることを鍼灸師は自覚すべきで、単なる治療家と同列以下で語ることは間違っていると言いたいです。生意気ですけれど、それくらいの気概がないとやっていけない世界なのではないでしょうか。どうでしょうか、鍼灸師さん。
マツモト コウイチ
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