[ビジ活陰陽論01]古代東洋人の感性

東洋思想の中核をなす陰陽論をビジネスに活用できるようにビジネスパーソン向けにお伝えしています。第1回目は教養的な意味合いの強い基礎的なお話しです。知らなくても問題ないのですが、知っていると知識と関心に幅が出てくるので学習を進めるうえで素晴らしいスパイスになることでしょう。

本文を読むのが面倒な方、BGM代わりに動画再生をしたい方は最下段にあります動画を聞き流していただければと思います。

 

陰陽論はビジネスに活かせるか?

巨人の肩に乗る

 

「巨人の肩に乗る」とは西洋のメタファー(隠喩)であり、東洋思想的なお話しなのにのっけから西洋のことを例に出すのは、陰陽論の本質というより私の語彙力のなさがなせる技だとご理解ください。

巨人の肩に乗るというのは現代の解釈では「先人の積み重ねた発見に基づいて何かを発見すること」を言います。科学者アイザック・ニュートンが書簡で用いたメタファーです。

また、車輪の再発明という言葉があります。これは「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を(知らずに、または意図的に無視して)再び一から作ること」を言います。

 

陰陽論は古めかしく、胡散臭いように思われますが、それはおそらくよくわからないから。そのため断片的にしか接する機会がないので不信感を持つのかもしれません。(または胡散臭い人が神秘的に持ち出すためそのような印象を持つのかもしれません)

ここでは、神秘的なものとせず陰陽論の本質的価値を現代のビジネスに活かすことによってその有用性を証明しようとする実験でもあります。多くの方がビジネスの成功の裏に陰陽論という視点がありますように学習していっていただければと思います。

 

古代東洋人

 

古代東洋人はいわゆる漢字文化圏を指し、古代中国といっても差支えないと思います。

その土地で広まった文化は今でも東洋思想として多くの影響を与え、また価値を内包しています。

 

古代東洋人の感性

 

自然界の法則を記述する原理として考え出されたものが陰陽五行説であり、これが東洋思想の根幹になっています。

 

陰陽五行説は古代において陰陽論と五行説を統合して理論体系にしたものです。

なかでも個別に代表的な分類があります。

  • 陰陽
  • 三才
  • 五行
  • 八卦
  • 気学九星
  • 十干十二支

 

これらは当時の共通理解であり共通言語、共有できる価値観と思ってください。今でいう常識とか科学(科学的)というニュアンスと同じと考えて良いでしょう。

陰陽論にはじまり十干十二支まで特徴的なことがあります。それはそれぞれある数に分別している点です。陰陽は2,三才は3,五行は5,八卦は8または64(64卦×6爻で512とも)などです。

これらはいずれご理解いただけますが、単なる分類ではありません。それぞれ影響しあったり、その変化の先を示していたりします。ただ分類してその傾向があることだけではないのです。その点が単なる分類法とは一線を画する画期的な視点なのです。(徐々に学習しましょう)

もう一度、似たようなことを言いますが、これだけの研究材料を現代的に活用しない手はないのです。私たちの両親は2人です。両親の両親は4人です。その両親は8人です。自分よりも3世代さかのぼる親や先祖だけで2人+4人+8人で14人になります。歴史は1000年、2000年と有史以来どれだけの人たちが存在したでしょうか。自分の先祖だけでも1億人、2億人では済みません。

現在の人口のみならず歴史を築いた人間がこれだけ多いということです。

その人々が築いた文化、感性、価値観を現代的にすべて無価値と評することができるでしょうか?

そして、さきほど言った言葉に返るのです「巨人の肩に乗ること」「車輪の再発明をしないこと」と。

 

文化の成り立ち

 

古代東洋人は主に先祖崇拝を基本としていました。そして時代を追うにつれ儒教、仏教、道教を中心として文化を形成していきました。宗教と文化は歴史的に見て切り離せないものとなっています。

(ちなみに日本は仏教、儒教、神道の三つで形作って来たといいます)

ここでは文化論的なお話しは割愛しますが、歴史と文化が切り離せない以上、歴史を知ることと文化を知ること、そして文化を作ってきた当時の環境は理解していたほうが良いのではないか(有利に働くのではないか)ということです。

 

陰陽の歴史について

陰陽の記述

 

陰陽について教養レベルでお伝えしておきますと、最古の記述は(中国史における)春秋戦国時代末期(紀元前二世紀)に『書経』洪範篇に見られます。このころの陰陽は天候の意味合いが強く、文字としての登場ですので陰陽論という理論的な価値は含まれていないと考えます。

(さかのぼって紀元前十七世紀~紀元前十一世紀には殷の時代の遺跡から、もっと古く発掘された甲骨文字にも陰陽の記述があるようです。このあたりは研究が待たれます。)

 

ニュアンスとしての陰陽

 

戦争の指南書を兵法書といいます。紀元前五世紀~紀元前四世紀中頃に書かれた兵法書『孫子』(孫武の著作)にも陰陽と同じ意味合いで剛柔という言葉が登場しています。

戦争の指南書というと少し驚くかもしれませんが、この『孫子』によってはじめて「勝敗は運ではなく人為によるもの」と明確に打ち出したのです。今では考えにくいですが、それまでは戦争の勝敗は天運と考えられていたのです。

 

諸子百家としての陰陽、陰陽家

 

諸子百家とは春秋戦国時代の思想体系の学派学者の総称のようなものです。儒家だけではなく、墨家、法家、名家、道家などがありました。そしてそのなかには陰陽家というものも存在し、鄒衍(すうえん)や公孫発が代表的な人物として挙げられました。

紀元前四世紀には斉という国があり、盛時をもたらした威王や宣王は、各地から多くの学者を集めました。これらの学者には、臨淄(りんし)の稷門の近く(稷下:しょっか)の邸宅が与えられ、多額の資金を支給して学問・思想の研究・著述にあたらせました。

ここに陰陽家の鄒衍がいました。彼だけではなく違う学派で性悪説で知られる儒家の荀子、兵法家の孫臏(そんぴん)などがいました。

私にとっては驚くほど豪華な顔ぶれです。稷下の学士たちは日々論争し、このことを百家争鳴と言われるようになりました。このような成句までできてしまうのですから、当時の勢いはすごいものだったのでしょう。

 

第1回まとめ

 

陰陽論は自然の法則を記述する原理のひとつと古代人が発見したものです。それを現代的に活用しない手はありません。応用が難しいかどうかはその発想を理解できるか次第となりますが、何事にも慣れれば応用発展することが可能なものです。とくにシンプルな陰陽論は漢字文化圏に含まれる日本人にはそれほど抵抗なく受け入れられると思います。

ぜひ動画もあわせてご視聴ください。そちらでコメント欄を開放しておりますのでご意見ご質問があればご記入いただければと思います。

 

 

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マツモト コウイチ

開業17年超の鍼灸師です。鍼灸の普及啓蒙を実践するYoutubeも始めました。ブログでは東洋医学を中心にビジネスから教育、エンターテイメントまで多くの人の成功と挑戦を見渡しています。東洋思想研究を深め居敬窮理(振る舞いを慎み、道理をきわめて、正しい知識を身につけること)を実践していこうと思います。

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開業17年超の鍼灸師です。鍼灸の普及啓蒙を実践するYoutubeも始めました。ブログでは東洋医学を中心にビジネスから教育、エンターテイメントまで多くの人の成功と挑戦を見渡しています。東洋思想研究を深め居敬窮理(振る舞いを慎み、道理をきわめて、正しい知識を身につけること)を実践していこうと思います。