日本での鍼灸の歴史(後)

鍼する左手 灸する右手

 

中堅鍼灸師のマツハリ先生と健康マニア宇宙人のキュウタロウ君のドタバタ鍼灸問答です

わかりそうでわからない、鍼灸の世界を垣間見てみましょう!

#11 日本での鍼灸の歴史(後)

 

キュウタロウ : それじゃ明治以降の歴史を教えて下さいな。
マツハリ先生 : 明治というのは、日本の医学だけではなく、日本にとって激動な節目となっているんだね。

キュウタロウ : 江戸時代は比較的長く続いたからね。
マツハリ先生 : そう。蘭方か漢方かという話ではなく、多くの西洋医学が流入したころなんだよ。

キュウタロウ : たくさんの情報があったら混乱しちゃうね。
マツハリ先生 : そこで政府も決断したんだ。医療制度がしっかりと確立され医療を行う者は医師に限ったわけ。しかも医師は西洋医学を学んでその試験に合格したものに限られたんだよ。

キュウタロウ : あっけない感じがするね。漢方だ蘭方だって言っていたのに…。
マツハリ先生 : それだけ富国強兵という国是が影響したんだね。伝染病を無くしたり、戦争でケガをした人を治すという処置をするには西洋医学の方が効果的であったんだ。

キュウタロウ : 効果で決着つけたんじゃなくて、国の政策やら当時の事情によって優先されたんだね。
マツハリ先生 : そういう面が大きいと思うよ。いろいろ立場によって発言は違うだろうけど、私のように東洋医学の実践者からすれば、効果が否定されたんではなくて、事情にあわなかっただけだと思っているけどね。

キュウタロウ : 何よりも医師の制度が大きかったんじゃないの?
マツハリ先生 : まぁ国策として何を医学の主軸とするか選択しなくちゃいけなかったからね。

キュウタロウ : それじゃ東洋医学というか、漢方は途絶えちゃうんじゃないの?
マツハリ先生 : 医師になるには西洋医学が必要だったんだけど、漢方の研究は自由とされていたんだ。そして、やがて漢方復興の芽生えが起こったんだよ。まだ、この頃には漢方の素晴らしさを知っている人がいたからね。

キュウタロウ : 漢方も捨てたもんじゃなかったんだね。
マツハリ先生 : その中でも昭和の漢方医学の復興運動は和田啓十郎『医界之鉄椎』によって漢方の治療医学としての優秀性を知らせることから始まるんだ。

キュウタロウ : 伊達に長い歴史があるわけじゃないものね。
マツハリ先生 : そして、その弟子の湯本求真の著書『皇漢医学』は漢方医学復興の大きな力となったそうだよ。

キュウタロウ : 漢方薬はお医者さんでも勉強しやすかったのかな。
マツハリ先生 : 一方、鍼灸治療については失明者救済のためという目的で明治以降も絶えることなく続いてはいたんだけど、医学の中心ではなくなっていたんだ。

キュウタロウ : そういうことね。失明者救済っていうのは、江戸時代の福祉政策という意味合いが続いていたんだね。
マツハリ先生 : 実は世界的に見ても障害者の自立という意味で画期的な福祉政策だったんだよ。

キュウタロウ : そうか。医学的な意義よりも福祉政策として存在するようになっていたんだね。
マツハリ先生 : 東洋医学の価値が評価されないのは悲しいけれど、そのような現実だったんだよ。

キュウタロウ : まぁ、結果的に鍼灸が絶えなかったのはありがたく思うしかないのかな。
マツハリ先生 : ここで、明治維新なみに大きな変化が起きてしまうんだ。

キュウタロウ : 激動。日本は戦争を経験したことだよね?
マツハリ先生 : そうなんだ。日本はいくつかの戦争を経験することになる。そして第二次世界大戦のあと、日本は敗戦というショックが冷めないまま多くの変化を受け入れなければならなくなるんだ。

キュウタロウ : また多くの変化を受け入れる必要が出てくるんだね。
マツハリ先生 : アメリカ占領軍が日本を統制した時のこと。日本の文化が未発達であると判断した連合国軍総指令部(GHQ)はなんと鍼灸禁止要望を出したんだ。

キュウタロウ : なんでそんなひどい事をするの?
マツハリ先生 : その根拠は、「消毒設備と意識に欠け、不衛生である。科学的根拠がない。鍼をしたり灸をするのは野蛮な行為である」という文化的な誤解によるものだったらしいよ。

キュウタロウ : アジア人を理解するよりも、恐れている面もあったかもしれないんだよね。
マツハリ先生 : このような文化の誤解、破壊に危機意識を持った当時の医師、鍼灸師は猛反発し、鍼灸存続の運動を起こしたんだ。

キュウタロウ : それでどうなったの?
マツハリ先生 : 苦難の末にどうにか鍼灸禁止は免れたんだよ。ただ、これでこの問題が解決したわけじゃないんだ。GHQの指摘に応ずるかのように鍼灸の科学化が使命であるという流れが形成されたんだ。

キュウタロウ : それはどういうこと?
マツハリ先生 : つまり、二つの意見にわかれるんだよ。ひとつは「GHQは何てわからず屋なんだ。鍼灸は野蛮じゃないんだよ。歴史や伝統を知らないヤツだなぁ」という意見。そして、もうひとつは「GHQが疑問に持つのも無理ない。野蛮じゃない方法を考えてみる必要があるのかもしれないな」という意見なんだ。

キュウタロウ : たしかに、西洋医学によって衛生概念が格段にあがったよね。
マツハリ先生 : だからこそ、二つ目の意見が出てきても不思議ではないんだ。

キュウタロウ : その延長線上がいわゆる「鍼灸の科学化」っていう意見だね。
マツハリ先生 : そう。その大きな流れとして鍼に電気を流したり、西洋医学の解剖学的見地から施術を試みる人たちがあらわれたんだ。つまり、西洋医学を勉強しながら東洋医学を理解しようとする、例えば筋肉に対して刺激するというような治療が有効なんじゃないかなという考えがおこったんだ。

キュウタロウ : 今から思えば、おかしな事だよね?今までの歴史を否定しかねないじゃないか。
マツハリ先生 : 新しいことにチャレンジしなきゃいけないって思ったんだろうね。結果として良いか悪いかなんか考える時間はなかったのかもしれない。とにかく、科学化すれば鍼灸がよりよくなるって考える人もいる。それほど西洋医学や科学化というのは、医学の多くの面で結果を出している面があったんだろうね。

キュウタロウ : だんだん結果がでているんじゃないの?
マツハリ先生 : 悲しい結果というのかな。誤った科学化とでも言おうか。

キュウタロウ : どういうこと?
マツハリ先生 : つまり、東洋医学を捨てて、鍼灸という名の西洋医学化が進んでしまったんだよ。

キュウタロウ : 西洋医学化?
マツハリ先生 : 厳密には西洋医学とも東洋医学とも言いづらい状態。場合によっては医学とも言いづらいかもしれないんだ。

キュウタロウ : 長い歴史を否定してみたものの、新しい効果がよくわからないってことなんだろうね。
マツハリ先生 : 正確に言うと、鍼灸は非科学じゃなくて、未科学、つまり科学が解明する力が不足しているだけだったと思うんだ。

キュウタロウ : これじゃ本当の鍼灸じゃないってマツハリ先生が言うのもわかる気がするな。
マツハリ先生 : 同じ頃に、そのような鍼灸にとって難しい時代にありながら希望の光も差しはじめたんだよ。

キュウタロウ : マツハリ先生みたいに歴史を大切にすべきだ!って思う人もいたわけだね。
マツハリ先生 : 私の師匠の先祖のような人たちだけどね。

キュウタロウ : ここにも物語があるんだろうね。
マツハリ先生 : 東洋鍼灸専門学校の設立者である柳谷素霊は若い頃に八木下翁に出会うんだ。

キュウタロウ : その八木下さんは伝説的なおじいさんなんだろうね。
マツハリ先生 : そうだよ。翁は西洋医学的な鍼灸とは無縁であり、青年の頃より脈診と一冊の古典を金科玉条として治療にあたっていたんだよ。

キュウタロウ : それこそ伝統的な鍼灸治療の方法なんだね。
マツハリ先生 : そうさ。そして素霊は、この古典に立脚した鍼灸こそ本来あるべき姿であると「古典に還れ」と喝破したんだよ。

キュウタロウ : 鍼灸学校の設立者が間違った科学化を指摘したんだね。
マツハリ先生 : その声に呼応したように当時の鍼灸師は古典を再検証し理論を再構築するという動きが生まれたんだ。その活動で弥生会というものがあるんだよ。

キュウタロウ : 古典鍼灸の勉強会だね。
マツハリ先生 : 井上恵理、岡部素道、竹山眞一郎などそうそうたる人物が散逸していた古典を集め、検証し、伝統的な鍼灸を広める努力をしたんだ。

キュウタロウ : 大変だったろうね。
マツハリ先生 : 参考にすべき古典を集めるのも大変な苦労があったと思うね。それを口語訳したり、理解したり、体系的にまとめあげる作業は、長い長い暗闇の中を歩くようなものだもの。

キュウタロウ : 頭が下がるね。
マツハリ先生 : その一連の功績が実を結び、古典による鍼灸術の再現が体系づけたものとしてまとまっていったんだ。その鍼灸は、従来の学校教育で行われている西洋医学的な鍼灸と区別するために、経絡的な治療、すなわち経絡治療と呼ぶこととなったわけさ。

キュウタロウ : そうか。学校教育は西洋医学的な鍼灸になってしまっていたんだね。
マツハリ先生 : 国家試験、当時は県単位の認定試験だったけど、その試験に合格するには科学的な絶対に変わらない答えが必要だからね。西洋医学の問題、たとえば消毒とか骨の名前とか、そういう問題が中心なんだよね。

キュウタロウ : マツハリ先生が言っていた、治せる資格ではなくてやっていいという許可する資格ってこういうことだったんだね。
マツハリ先生 : この頃からすでに治療をやっていいという許可の資格だったんだね。

キュウタロウ : 本当に本当にもどかしい世界だね。鍼灸っていうやつは。
マツハリ先生 : このように日本における鍼灸の歴史は東洋医学的な理論を重視する流れがある。また、それとは逆に培ってきた理論から遠ざかるのを承知で実際に試して効果があればいいのではないかという流れがある。このふたつの立場で絶え間ないゆらぎが存在しているんだ。

キュウタロウ : 医療っていうものは絶対がない世界だっていうものね。
マツハリ先生 : だからこそ、悩み続けているんだよ。

キュウタロウ : マツハリ先生も悩み続けているんだね。
マツハリ先生 : よりよい世界を願うのは、必要な悩みなんじゃないかな。そのような考え方の違いは現在では鍼灸の世界での多様性を生み、歴史的な経緯を学んだ教訓から伝統的な鍼灸を実践する人が増えてきているんだよ。

キュウタロウ : 情報の伝達が発達して歴史や使命がより伝わりやすくなったからかもしれないね。
マツハリ先生 : あとは鍼灸師の人格というか、徳というか、品性が高まることを願っているよ。

キュウタロウ : そうだね。そうすればきっと世界はよくなるよね。
マツハリ先生 : 伝統的な鍼灸は日本国内に限らずアメリカやヨーロッパにも徐々にではあるけど広がっている。日本式の痛くない鍼の評価が高まることはますます伝統的な鍼灸が広まる機運となるだろうね。

キュウタロウ : なんか、もっと多くの人に知ってもらいたいね。
マツハリ先生 : 少しの力しかないかもしれないけど、大きな信念を持ち続けていきたいね。

 

第11話を終えて

 

鍼灸ほど歴史ある治療法は無いと思うのですが、その歴史があるからこそ学ぶことを疎かにして治療効果だけ追いかけてしまう人がいるのも事実です。

しかしながら、過去の通りにすべて行うのではなく、その真意を汲んで現代的に活かすことが、いまを学ぶ者の努めだと思っています。

悲しいことに資格制度があるばかりにテストに合格さえすればよいという間違ったメッセージを与えてしまっている側面もあり、歴史的な経緯や概念など知らなくとも鍼灸師と名乗れるようになっています。(このような問題は鍼灸に限られたことではないかもしれません)

治療の世界を見渡しても「聞いた、やった、治った」といういわゆる《三た治療》が多く、論拠に乏しいけれど治ったものがち(しかも偶然的な成果ばかり)ということで終わらせてはいけないと思うのです。

あくまでも個々人の自覚によるものですが、鍼灸師が教養を深め、真に文化伝統の医学を伝える者という自覚とともに日々の研鑽にあたってほしいと若輩の身ですか主張したいと思うのです。

 

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マツモト コウイチ

開業17年超の鍼灸師です。鍼灸の普及啓蒙を実践するYoutubeも始めました。ブログでは東洋医学を中心にビジネスから教育、エンターテイメントまで多くの人の成功と挑戦を見渡しています。東洋思想研究を深め居敬窮理(振る舞いを慎み、道理をきわめて、正しい知識を身につけること)を実践していこうと思います。

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開業17年超の鍼灸師です。鍼灸の普及啓蒙を実践するYoutubeも始めました。ブログでは東洋医学を中心にビジネスから教育、エンターテイメントまで多くの人の成功と挑戦を見渡しています。東洋思想研究を深め居敬窮理(振る舞いを慎み、道理をきわめて、正しい知識を身につけること)を実践していこうと思います。