易と鍼灸を置き換えてみる

今回は鍼灸師向けの内容になってしまいます。私たち鍼灸師が学ぶとき、多くを古典にヒントを求めます。その古典の学び方も鍼灸の古典(素問、霊枢や難経)に限らず医古文以外からも学ぶことができるのではないでしょうか。今回はそのちょっとした思考実験です。

 

学びを深くするには

古典に学ぶ裏技?

 

東洋医学は運命学のひとつです。運命学とは主に命学、卜学、相学、仙学、医学の五術をいいます。この医学のなかに鍼灸はありますので、鍼灸は運命学(または人間学)として人をより良く生きるための学問とされています。

この運命学を学ぶと、物事が深く見えるようになります。なかでも一術よりも二術、三術と理解が増すごとに複合的な視点・立体的な視点が得られるといい、より深い理解が可能になるといいます。

そこで、私は鍼灸師としての理解を少しでも早く・多く達成するために他の運命学から共通項を見出すことによって理解の幅を広げようと試行してみました。

 

易の学び

 

  • 四徳すべてが書かれている卦は四徳のバランスが良くてはじめてその卦の吉(良好)の状態となる。
  • 易経の原文を日本語に訳して理解すると「てにをは」や助動詞がついて漢字の一字一字の持つ多様な表現が限定されてしまう。
  • もうひとつは字句の背景に当時の一般的な思考や常識があり、そのうえに則って辞句が選択され書かれているとうこと。まずはじめに四徳という精神文化を知るという前提がある。
  • 古代中国の一般的な文章は書き手と読み手が互いに知っていることは省く。その省かれているところを推測しなければ真の理解とはならない。
  • 実占では得卦に記されていない徳を用いないように問占者に注意を促す必要がある。えてして問占者は得卦と反対の方向へ進もうとする。

 

実際のところ、易と鍼灸の両方の理解がないと思考実験は難しいかもしれませんね。それでも、なんとなく読み進んでいただきたいと思います。

少し補足すると元亨利貞(げんこうりてい)は、乾為天の彖辞(たんじ)に『乾、元亨利貞』とあります。易占(易を使った占い)をするうえでこの項目がでたら、このように解釈するという言葉のひとつです。

易経には陰陽2種×6爻あり、それによって64卦が存在します。易も鍼灸も運命学であるとともに陰陽を共通項としている概念なのです。

ここでは主に易経の解説や易経を読み解くヒントを掲載してみました。

 

次に鍼灸を考えるうえで、似ている言葉に置き換えた場合、意味がどれほど通るでしょうか。実験です。

 

鍼灸への置き換え

 

  • 陰陽五行のバランスが良くてはじめてその体(心身)は安泰となる。
  • 古典の原文を日本語に訳して理解すると「てにをは」や助動詞がついて漢字の一字一字の持つ多様な表現が限定されてしまう。
  • もうひとつは字句の背景に当時の一般的な思考や常識があり、そのうえに則って辞句が選択され書かれているとうこと。まずはじめに陰陽という思考文化を知るという前提がある。
  • 古代中国の一般的な文章は書き手と読み手が互いに知っていることは省く。その省かれているところを推測しなければ真の理解とはならない。
  • 治療では現実にあらわれていない症状を起こる可能性を患者に注意を促す必要がある。えてして患者は回復と反対の方向へ進もうとする。

 

おおよそ、参考になることばかりではないでしょうか。(そもそも意味が通じるものを選んで記載していますけれど)

純粋に鍼灸古典を読みこなそうとすると、文字の理解に終始してしまいますが、易経の読み方を参考にすると、同じような過ちを避けることができ、またその普遍的な古典への付き合い方が理解できます。

お手数ですが、易の抜粋と鍼灸の置き換えを再びよく読んでみていただきたいと思います。

 

 

結論

 

まだまだほんの一部を実験的に置き換えたに過ぎません。もっともっと共通項があるはずですから、易を学べば学ぶほど、鍼灸の理解が深まるものでしょう。そして命学として四柱推命や相学として手相や観相学など学びを広げるかもしれません。

それは、自分が鍼灸師であり、運命学の指導的立場ということを実感すればこそ可能なことなのです。自分の思想にマッチして都合のよういところだけ寄せ集めても、それは博学であっても深みはでることはないでしょう。

余計なことをいいますが、断章取義(だんしょうしゅぎ)という言葉があります。作者の本意や詩文全体の意味に関係なく、その中から自分の役に立つ章句だけを抜き出して用いることです。これは本当に注意しなければならないことです。客観的な事実から得ることは多いと思いますが、何かを得るために自分の思いを古典に代弁させてはいけないということです。そのあたりの真摯さ・謙虚さは学ぶ者としてしっかり心にとどめておきたいと思います。

 

さいごに

 

易を学ぶ意味を感じている鍼灸師は多いでしょう。これは喜ばしいことだと思います。しかしながら、学び方を知らず文字だけに追われていると知っているけど理解していないという「論語読みの論語知らず」という状況にもなりかねません。そのあたりは注意が必要です。

やはり忙しい臨床の間に学ぶことであっても、同じ鍼灸師で議論し、ときに私淑する人物を見つけ、着実に視野を広げていくことが大きな意味を持つのではないでしょうか。

私もまだまだ初学者です。これから指導できる立場になるまで辛抱強く学び続けたいと思います。

 

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マツモト コウイチ

開業17年超の鍼灸師です。鍼灸の普及啓蒙を実践するYoutubeも始めました。ブログでは東洋医学を中心にビジネスから教育、エンターテイメントまで多くの人の成功と挑戦を見渡しています。東洋思想研究を深め居敬窮理(振る舞いを慎み、道理をきわめて、正しい知識を身につけること)を実践していこうと思います。

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開業17年超の鍼灸師です。鍼灸の普及啓蒙を実践するYoutubeも始めました。ブログでは東洋医学を中心にビジネスから教育、エンターテイメントまで多くの人の成功と挑戦を見渡しています。東洋思想研究を深め居敬窮理(振る舞いを慎み、道理をきわめて、正しい知識を身につけること)を実践していこうと思います。