今回は主に一般向けの書籍をご紹介します。だからといって、鍼灸師も一般人に違いありません。教養として当然読み返し血となり肉となるようオススメします。
安岡先生の本はたくさんありますし、この1冊も人間学講話としてシリーズなのですが安岡先生の考えを知るとともに他にどのような本を読めばよいのか、どのような心構えでいる必要があるのかという根本的な人間学への指針を垣間見ることができます。
『運命を創る』
★★★★☆(4/5) 鍼灸師向け:医書ではない古典を学ぶキッカケに。
★★★★☆(4/5) 一般向け:壮大なテーマを身近に学ぶために。
『運命を創る』
人間学講話に学ぶ
安岡 正篤(やすおか まさひろ)氏は陽明学者、哲学者、思想家として紹介されます。政界の相談役といわれ終戦の勅諭(いわゆる玉音放送)を刪修(さんしゅう: 不要な字句または文章をけずって改めること)したとされています。
また、当時、財界にも多くの心酔者がおり、三菱グループ・近鉄グループ・住友グループ・東京電力など多くの財界人をも指南していたとされています。
私はライフワークの東洋思想研究の一環として安岡先生を顕彰する郷学研修所でときおり学ばせていただいています。
接点
東洋医学は医学であり、医学は五術のひとつであり、五術は運命学・人間学です。
そこで鍼灸師たるもの医学のみならず人間全般に通じている必要を感じ、儒学の系譜を調べ学ぶうちに自然に安岡先生の著書に至りました。
安岡先生は陽明学者とされますが、もう少し幅がひろく新儒学を新たにした新新儒学という表現が適切と聞いています。陽明学と朱子学の単純な対抗心だけで割り切るにはスケールが大きい人だとも聞いています。
どうしても構図としては流派にいれて理解しやすくしたいものですが実際はそれほど単純ではないでしょう。ましてやまれにみる傑物ともなればなおさら枠にはまらないものでしょう。
歴史は繰り返す
今日の、ことに戦後の学校教育は非常に機械的になりまして、単なる知識や技術にばかり走り、例の○×式の試験方法なども人間の機械化を一層促進いたしました。
ですから、近来の学校卒業生には、頭がいいとか、才があるとかという人間はざらにおりますが、人間ができているというのはさっぱりいない。そのために、下っ端で使っている間はいいが、少し部下を持たせなくてはならないようになると、いろいろと障害が出るといった有様です。これは本質的要素を閑却して、付属的方面にばかり傾いた結果であります。
田坂先生のときと同じですが安岡先生のお話は本書になったのが1985年が初版です。その頃からすでに今では納得してしまう流れができていました。
教育とは何か?という本質を理解して進まない限りは効率優先の知識の詰め込みに至るのでしょう。それがもっとも合理的な正解の求め方だと思われていれば、です。
しかし、実際は問題が明示しておらず、正解が将来に渡って正解とも限らず激動の時代にあって真理を知らなければ場当たり的な回答でやり過ごすことを繰り返すばかりです。
ある種、間違った科学万能主義であり、効率を求めた安易な精神性の結果ということも言えます。
何のための学問か
「学問したい」と考えぬ者はないでしょう。しかるに、その多くの人々は、学問することは学校に入るか、学校でやっているのと同じことをせねば学問でないように考えています。
大きな間違いです。学問にも修業の学問と学校の学問があります。学校の学問は、今日のような方法で一向修養の役には立ちません。
歴史を経ても人間が学びを忘れては「知っている」に過ぎず、料理でいうならばレシピに書いてあっても読まなければ作れないようなものでしょう。
どこか錯覚に陥りがちですが、私たちは「何かをする」というときに「どうやって」だけ求めてもダメなのです。そこには「なぜそうするのか?」という自問がなければ、継続はおろか、成果すらもろいもので終わってしまうものなのです。
居心地の良さほど注意せよ
(略)それと同時に、できるだけ友を広く持たねばならぬ。ところが、いい友達を多方面に持つということが、またなかなか困難であります。皆さんがこういう会社に入られると、大体、生活の分野が決まってしまい、生活のコースが決まってしまう。
(略)会話も、ものの考え方も、仕事も、だんだん限定されてくるということは、人生がそれだけ狭くなるということと、無内容になるということと造化成長が止まるということです。本当の意味の専門的権威を得ることではなくて、専門的堕落の方に行くのです。
自分の生活を向上しようとするよりは、自分の生活を安定させようと思うもの。それがいかに危険かということを教えてくれます。
とくに鍼灸師は狭い世界にいますので世間とのズレを恐れなければいけませんね。
新しい世界にむやみに行くというよりは、広い世界があると知って愉しむ心がけが必要だと受け取りました。「専門的堕落」この言葉を胸に刻み日々反省したいと思います。
さいごに
安岡先生の著書も、やはり読み進めていくと他に読まなければならない書籍で溢れます。それらがわかればわかるほど、もっと深い理解が可能になるのでしょう。
文学的に読みこなすというより、思索の時間を創るための大切な対話の機会です。
安岡先生の考えに触れ少しずつ東洋思想の学び方がわかってきた気がします。まだまだ時間はかかるでしょうが、いとぐちがつかめたことは自分のなかではとても大きな進展です。
私は多くの書籍を読むにつれ思うことがあります。
同じ本を読んで 違うことを感じたら それは成長
違う本を読んで 同じことを感じたら それは真理
このことを実感しています。
そして、だからこそ多くを知り真理と成長のために読書する必要性を感じます。
時間は大切。時間は有限。報恩していかなければなりませんね。目下、私が使命に感じていることです。
マツモト コウイチ
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