鍼灸界隈、令和で少しざわつく

 

新元号を歓迎しています。私の関係する鍼灸の世界でもちょっと話題になったので後世のために思ったことをちょっと残しておきたいと思います。

ざわついた話

新元号「令和」だって

 

黄帝内経霊枢という医古文の「終始編」のなかに「令和」という文字列があります。終始篇は脈の変化から気血・陰陽の変化を診察すること、病症状況から治療の原則と方法を確定することまで治療の規律を示しており、この一貫する方法を「明らかに終始を知り、五蔵の紀と為す」というところから「終始」と名付けています。

 

陰なる者は蔵を主り、陽なる者は府を主る。陽は気を四末より受け、陰は気を五蔵より受く。故に写する者はこれを迎え、補する者はこれに随う。迎を知り随を知れば、気わせしむべし

気可令和(気わせしむべし)というところに「令和」があります。

深い意味はありませんね。和せしむ、和するようにするということです。それでも元号に使われる文字列が古典にあったのだから、話題としては出てきて良いのではないかなって思います。出典もあきらかになっており漢籍ではないのですし、これを命令と取るか取らないかは解釈次第でなんとでもいえるところですから、私は否定的なニュアンスには受け取りませんでした。

それでも、こうやって投稿のネタにもなりますし、古典を一度も見てみる気が無い鍼灸師が多いと思いますので、それをキッカケに高い本だとおもわずに買って読んでみてくれてもよいかなって思っています。

 

元号について思ったこと

 

ここからは元号の感想を。基本的に歓迎しているのですが、そもそも元号にあまり思いがないと思っています。つまり中立な感じです。為政者なら、もうちょっと願いを強く込めてもよいのかなって思いましたが、国の勢いを感じたら無理はないですよね。国力相応だと思っています。

「名付け」と「命名」は意味が大きく違います。名付けは単なる呼称を決定することであって「ポチ」でも「たま」でも良いわけです。しかしながら命名はというとどのように生きてほしい・どのようにあってほしいと命(願い)を込めるわけです。

そういう意味では「永」「万」「徳」「仁」などの文字が入ってもよかったかなーと思いますが、結果はそうではありませんでした。

元号の発表前は安倍政権に嫌悪する人が元号に安倍首相の「安」が入るのではないかとか、「安久」という文字になるというリークらしき内容までネットで飛び交っていました。私は安という文字は入らないと思っていました。為政者の側からすれば、あらぬケチがつかないように平穏に通したいものです。安倍首相は憲法を改正したいと思うことはあっても、自分の名をそういう形で残そうという意味での野心家ではないでしょう。ですから、安は入れないでしょう、と。それよりも、日中関係に関心が高いのであれば当然、聖徳太子のエピソードも下敷きにしてみようと思うもの。日出処の天子として相手と自分を同等に持っていたように、漢籍ではなく日本の古典を出典先にしてみてはどうかということです。

そういう意味で万葉集となったわけです。それでも私は無理があると思っています。本来、文字を持ってくるには同じような文節なり対比なり、省略系を出すものです。どこかに書いてあった、ここに書いてあった、それを持ってきて熟語というのは無理があります。成蹊大学の成蹊なんかその例ですね。蹊を成すの略で成蹊。その流れでいうと黄帝内経霊枢のほうが、しっかり文字列として「令和」があるのですから、そちらが正当性がある気がします。出典は万葉集って言ってますので完全にその目は無いんですけど(笑)

令という文字はちょっとニュアンスとして強いと思います。命令の令でもありますし、もともと令は象形文字。神官が礼帽を戴き、跪(ひざまず)いて神意を承けている形だと言います。そういう意味でいままでに令という漢字が使用されたことはなかったと思います。そして和ですが、これは文字通り平和の和であって過去にも20回ほど使われた漢字だと言います。

平凡な文字を2つというのでは面白みがなく、それでいて2文字ともクセがあると批判の的に。そう考えると1文字はチャレンジして1文字は置きに行く。為政者ならそういうバランスも考えるでしょう。

ほかにも漢籍や日本の古典からの引用の文字があったといいますが、私の邪推であれば他の文字をみるに令和ありきで、それにそろえて対抗馬を出した気がします。読み方が難しかったり、単調すぎたり。単独で令和は良いとは思いませんが比較すれば令和がもっともよく感じました。そういう意味では選者か考案者が一案ありきで、ほかも用意したような気がします。

ですから、私が思った印象は「無難」なのです。そして攻めるところは攻め、守るところは守った感じ。その責任・覚悟を持っていくというより「守り重視」なのです。これが今の日本であり、これからの日本なのでしょう。

言葉の意味は、あとから付いてくる場合もあります。ですから逆に手垢の付いてない言葉になってよかったのではないでしょうか。易経なんて良い言葉の羅列ですからたくさんありますしね。企業名や大学名になっているくらいですから。それより(良く言えば)新しい時代を切り開いていくという意味でこれから次第(運命を切り拓いていく=立命論)になってよかったのではないでしょうか。

私は「平成の方がよかった」と言われないようにしっかりと時代を歩んでいきたいと思っています。

さいごに

 

私が投稿ネタにしたことと同じですが、いくら時代が進んでも国の影響力、歴史の一部というのを体感する貴重な機会だったかもしれません。

平成になったのは確か私が中学生の頃。そういうふうに私の生涯のなかでも仕事で頑張っていた頃が令和になったんだなぁと意味を作っていくのでしょう。

パッと考える限り先はあまり明るくありませんが、良き時代となるように進んでいきましょう!

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マツモト コウイチ

東洋思想研究家でありUdemy講師でもあります。開業15年超の鍼灸師です。ビジネスから教育、エンターテイメントまで多くの人の成功と挑戦を東洋思想家として見渡しています。すべての投稿に関して講義講演が可能な内容となっています。居敬窮理(振る舞いを慎み、道理をきわめて、正しい知識を身につけること)を実践していこうと思います。

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