日本陽明学の系譜

2018年8月19日(日)に郷学研修所主催の勉強会に聴講する機会がありました。勉強会は土曜日に開催することが多いのですが、日曜日に開催された貴重な回。今回は1日のみの聴講も受け入れていただけたので喜んで参加したものです。

講師について

講師の吉田公平先生は東洋大学名誉教授です。専攻は中国哲学ですが、陽明学研究者として名が通っています。著書に触れる機会がありましたが、儒教研究には欠かせない1冊となりました。

陽明学(王陽明)を知るには最良の1冊です。その周囲の背景も説明があることから単なる知識の比較にならずに理解が進みます。

そして、最後に東洋大学が陽明学の普及に大きく寄与していたことを知ります。

日本における陽明学の系譜とその特色

基本的には朱子学が幕府お墨付きの儒教であって、それを補う形で論争を起こすのが江戸時代の流れ。

割愛しますが、古来から日本は仏教が権力を持っていました。仏教は哲学・宗教だけでなく当時の最先端の政治や歴史など学問の総本山的な役割を担っていたからです。これにキリスト教で抑止しようとした織田信長や儒教で抑止しようとした徳川家康だと言えます。なかには自ら仏門に入った戦国武将(武田信玄)などもいます。今回はこのお話しは割愛しますが江戸時代以降の陽明学について触れておきます。

新儒教(朱子学・陽明学)とも修己と治人を根本に置く。

修己:性善説を人間理解の根本に置く。(禅でいう仏性の自力主義的な考え)

治人:社会的責任を自覚して社会活動を積極的に行う。(仏教は社会的責任を放棄とみる)

儒教と仏教の違いは社会的責任をどうまっとうするか、しないかという点にあります。

このあたりも明確に理解していく必要があります。

朱子学の陽明学批判:治人に展開する主体を形成する修己論ではない。禅に酷似する。

陽明学の朱子学批判:取り違えた性善説なので本来の自力主義ではない。主体性の自由度を拘束する。現状を変革するエネルギーにはならない。

山田方谷の言うように「まずは朱子学を学び、ついで陽明学を学ぶ」というのが理想でしょう。

江戸時代初期

中国では明代末期。中江藤樹、熊沢蕃山が中心。熊沢蕃山は心性論だけでは政治的成果は挙げられないと藤樹とは距離を置く。

中川謙叔(なかがわけんしゅく:藤樹の門弟)と盤珪永琢(ばんけいようたく:臨済宗の僧。不生禅を唱え、やさしい言葉で大名から庶民にいたるまで広く法を説いた)が論争するも著書は残っていない。

淵岡山(ふちこうざん)藤樹の心性論を継承し、その学統が明治期まで持続する。特に会津・喜多方の門流が藤樹心学の学びの成果を丹念に記録した。

今後、会津・喜多方といえば藤樹心学によって知のリバイバルによる町おこしが盛んになるかもしれません。この講義を受ける中で、私も藤樹心学を学ぶ必要性を強く感じました。

江戸時代中期

三輪執斎(みわしっさい:山崎闇斎の門人佐藤直方の弟子。自力で『伝習録』を読み陽明学に開悟。『標註伝習録』を著す。

川田雄琴(かわだゆうきん:三輪執斎の門人。子孫が佐藤一斎に師事。)荻生徂徠と同時期。

18世紀後半に藩校が続出。朱子学を基本とした儒学塾が隆盛。

寛政異学の禁(1790年)江戸幕府による朱子学を中心とした儒学政策は、徳川家康の林羅山登用に始まり、徳川綱吉の湯島聖堂建設で最高潮に達した。だが、徳川吉宗は理念的な朱子学よりも実学を重んじたこと、加えて古学(山鹿素行、伊藤仁斎、荻生徂徠(古文辞学派))や折衷学派などが流行したこともあって朱子学は不振となり、湯島聖堂の廃止さえも検討された。

松平定信が老中となると、田沼意次時代の天明の大飢饉を乗り越え、低下した幕府の指導力を取り戻すために、儒学のうち農業と上下の秩序を重視した朱子学を正学として復興させ、また当時流行していた古文辞学や古学を「風俗を乱すもの」として規制を図った。

 

幕末維新期

大塩平八郎は教科書的にいうと乱を起こした人物なので陽明学は危険な思想と誤解されます。実際は大阪の奉行所の与力であった大塩平八郎は弱者の窮乏を身にしみてわかっていたので、貧民のために立ち上がったに過ぎないのです。ただ幕府(政府)から見れば平和を乱す者という認識になるのです。

 

佐藤一斎は昌平坂学問所の学長です。

 

西郷隆盛は横井小楠、山田方谷、春日潜庵を傑物だと高く評価しています。

 

この頃は国際環境が厳しくなり幕藩体制が制度疲労を起こしていたために、日本が植民地になる恐れを感じていました。それゆえ生き抜くために必死に学問に向かったといいます。

 

明治大正昭和初期

明治以降は陽明学を基本理念とする民間の結社が運動を展開。日本における陽明学運動は明治後半から昭和初期が最高潮を迎える。

吉本襄 陽明学という呼称を定着させる。それまでは王学と言われた。

東敬治 王学会・陽明学会に組織化。会員・購読者の組織化。渋沢栄一、大原総一郎などの支援。陽明学を普及させるうえで大きな貢献をした。協力者は生田正庵、柴田甚五郎。三人とも東洋大学教授。近代の陽明学運動の発信は東洋大学であった。

 

まとめ

 

陽明学とは何か?という漠然とした疑問を持ち、安岡正篤先生の著書に学ぶうちに徐々に東洋思想の必要性を強く感じました。

そもそも鍼灸師である私は東洋医学を少しでも有利に学ぶ方策だと考えていました。

実際はそれだけではありません。単なる治療家から脱皮し東洋思想である運命学(人間学とも言われるもの)をこれからも深く学ぶためには、運命に導かれるように学びを深めていく流れを感じます。

 

儒学、新儒学と歴史的な経緯を知る上で、現代においても知識偏重では役に立たないということは事実です。少しずつでも積み重ねて後世に役立つ学びが残せたら素晴らしいと思っています。

 

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マツモト コウイチ

東洋思想研究家でありUdemy講師でもあります。開業15年超の鍼灸師です。ビジネスから教育、エンターテイメントまで多くの人の成功と挑戦を東洋思想家として見渡しています。すべての投稿に関して講義講演が可能な内容となっています。居敬窮理(振る舞いを慎み、道理をきわめて、正しい知識を身につけること)を実践していこうと思います。

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