勉強はなんのためにするの?に答えるエピソード

よく勉強はなんのためにするの?という質問をいただきます。そして、一児の親ともなりますと、いずれこの疑問を息子から突きつけられると思っています。

答えを押し付けるのは簡単かもしれませんが、答えを聞いた本人が納得(自得)しなければ、意見を封殺することになってしまいます。そこで具体的な例を示すことによって、勉強(学ぶこと)の大切さを知ってほしいとおもい今回のエピソードをご紹介します。

 

江戸が平和だった理由のひとつ

 

江戸時代の日本は鎖国をしていたが、日本の知識人は海外の情報を熱心に収集した。江戸の知識人は純正漢文を読めたので、朝鮮や中国(当時は清)から漢籍を輸入し、貪欲に知識を吸収した。中国国内では公刊を禁じられていた書籍でさえも、日本の書店では一般人向けに売っていた。

江戸は世界的に見ても当時は大都市だったといいます。そして和算や読み書きに代表される識字率や能力が一般庶民まで高かったといいます。

教養という意味では文化的な香りが高かったためとも言えます。

学ぶ、知っているということが一種のステータスであり粋でカッコいいという価値観があったのかもしれません。教養が高い、品性が高いというものは、日本では古くから大切にしている価値観だともいえるでしょう。

 

江戸時代の日本の書店では清の国家機密たる実録を堂々と販売していた。(略)当時の日本は清と国交をもたず、属国ではなかったので、こんなことも可能だったのである。

商売になるために流布しているのですが、諸外国との関係性も実に面白いといえます。「国交がない」ということを知っていても「だから機密事項を販売できる」まで知る人は少ないですからね。

 

明末清初、中国を攻略した清軍が漢民族を虐殺した様子を記録した書物が清国では禁書となり、保持しているだけでも死罪となった。これらも日本では出版され広く読まれた。その凄惨な描写を読んだ日本人の読者は「異民族に征服されるということは、こういうことなのだ」という認識を深めた。幕末から維新にかけての日本人が西洋列強の進出にいちはやく危機意識を持つことができた理由も、ここにあった。

まさか、このあたりのエピソードが明治維新を速やかに展開させた土壌になっているなんて普通の歴史教科書では知ることができない内容なのではないでしょうか。

学ぶこと、知ることにより機先を制することができるのですから、単なる利益・損得だけのために勉強の必要性があるわけではなく、本当に命がけ、将来や国家の命運まで握りかねないのですから勉強が大切というのは先祖から骨身にしみる教訓になっているのでしょう。

 

さいごに

 

私は「勉強の意義がわかるのも勉強の成果」と言っています。意味がわからない人には価値がわからないわけです。

《もし、本と服を汚したら、まず本から拭きなさい》というユダヤの格言もあります。

知識だけでどうにかなるとも思いませんが、大前提として「学ぶ習慣」がなければ自分の危機、場合によっては国家の危機まで影響するのですから、心して取り掛かりたいものです。

 

※今回、引用したエピソードは『漢文の素養』に記載されています。教養としても知的冒険としても歴史的な経緯の違う一面が見れて価値ある一冊です。

 

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マツモト コウイチ

開業22年超の鍼灸師です。