漢字の成り立ちを知ることは古代中国人の当時の思想、発想を知ることに通じます。そこで東洋医学でしかお目にかかれない鍼(はり)という漢字について調べてみました。
針と鍼
まず最初に確認となりますがよく見かける漢字の「針」。これは縫い針を表しています。東洋医学の鍼(はり)は医療に用いる鍼ということでまったくの別物です。
針灸院という表記も見受けられますが、読みやすい文字ということで借りてきたものと理解すべきでしょう。
鍼という漢字
鍼という漢字は「かねへん」と「咸(かん)」に分けることができます。
かねへんは金属を表します。
咸を使った漢字には鍼のほかに次のようなものがあります。
- 緘 封緘(ふうかん)…手紙や文章などの封を閉じること。
- 箴 箴言(しんげん)…戒めの言葉。
- 撼 震撼(しんかん)…ふるい動かすこと。震え上がらせること。
- 感 感動(かんどう)…ある物事に深い感銘を受けて心を強く動かされること。
咸声の字には緘・箴のように閉ざす意と撼と感のように動く意があります。そこから閉ざされていたものが何らかの影響で動き出すというニュアンスがあることが推測されます。
咸の成り立ち
咸は口(「くち」ではなく「サイ」)と戉(エツ)から成り立っています。
口(サイ)は祝詞(のりと)を収める箱であると白川静博士が提唱しています。
戉は「まさかり」を表しています。「まさかり」とは大きな木を伐(き)るのに用いる刃物の一種、斧に似ていて大型で柄のついているもの。武器や刑具としても使われた。
戉は越に通じています。(音が同じなので意味にも共通点があるということです)
咸は聖器である鉞(まさかり)をもって祝祷(しゅくとう)の器である口(さい)を封緘し祝祷の呪能を守る意味であろうと推測されます。
越に通ずる
越…目的地に向かって障害物を通り越して一気に進むこと。山坂になったところや垣や関など通行を阻むために設けられたところを通り過ぎる意に用いられます。
《説文解字》越…度(わた)るなり。踰(ゆ)は超えゆるなり。
説文解字は最古の部首別漢字字典です。これによると越は踰と関係があると言っています。
越を考えると鍼の咸から「進むこと」つまり「動く・動かす」というニュアンスが伝わってきます。
踰(ゆ)とは何か
踰…兪声であり、兪はもと舟(盤の形)と余(手術の針)に従う字。針で患部の膿血をとって盤に移し病いを愈(いや)す意。
愈…愈にものを輸(おく)るの意があり、さらに此より彼に及ぶことを踰といい、物を送ることを輸という。愈のもともとの文字は艅(ゆ)です。
癒…病いが愈えるので癒となり、癒は愉に通じています。
艅(余)…余はもとの字は餘に作り饒(おお)きなり、飽くなりとあり食余をいいます。祭祀の肉の余りを人に頒(わか)つことから剰余の意味となりました。
振り返って
咸…何らかの影響で動き出す・止める。止まっている気血が動き出す。
戉…まさかり。スパッと一刀両断。ハッキリと変化する。
越…一気に進むこと。まさに「動くこと」
兪…外科的治療法。悪い物を取り除く。癒える。愉しむ。
輸…此より彼に及ぶこと。「取り除く」→「動く」・「運ぶ」
考察
鍼は東洋医学の古典(黄帝内経素問や難経)に代表されるように医療の道具の名称として登場します。(針は登場しません)
また「動かす」「とどめる」というニュアンスを考えていくと納得することがあります。古典のなかで鍼は経絡のなかを通る気を動かす道具という位置づけだからです。
その点を照らし合わせると鍼は気血(または気)を動かす道具だと言えます。そして痛みを与える必要性もなければ刺激する道具でもないということがわかります。これらの漢字には切るとか縫い合わせる、刺激するというニュアンスのものはありません。
鍼という道具を目の前にして「動かす」「とどめる」という言葉を聞いて「何を?」と考えた場合、古典に親しんでいる鍼灸師なら気血(気)という生命エネルギーに影響を与えるんだな、とすぐにピンとくると思います。
逆に鍼の漢字の意味がわからないままでは、または針(縫い針)と同じイメージで理解しようとするのであれば鍼そのものを刺すだけの道具と理解しても不思議ではありません。
このあたりは伝統的な物事への正しい理解は慎重にならなければいけないことを教えてくれるような気がします。
マツモト コウイチ
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