未病について

先日、鍼灸師の集まりにおいてシンポジストとして登壇したので備忘録として残しておきます。鍼灸師が考える「未病治」と「臨床」というテーマでした。(内容は鍼灸師向けですが東洋医学のカテゴリーに投稿しておきます)

時間が限られていたのですべてお話できなかったのですが、奥深いテーマですので引き続き討論することがあると思います。

 

鍼灸師の置かれた立場

独占的な概念ではなくなったという事実

 

「未病」という言葉が注目されることによって副作用が発生します。東洋医学の言葉ではなく《西洋医学の「未病」》という言葉も散見されはじめたのです。

これはとても危うい状況にあります。

言葉の意味合いが複雑になってしまうからです。

「東洋医学の未病は…」「西洋医学の未病は…」このような混乱が遠くない将来起こりうるのです。

このあたりは残念というか、難しい現実です。だからこそ鍼灸師が率先して東洋医学の未病を本来的な意味で理解し啓蒙する必要があると思います。

 

 

東洋医学でいう未病

『難経十七難』

 

経に言う。病んであるいは死することあり、あるいは年月を連ねて已えずその死生存然るなり尽く

(ここでいう経は亡失)

病の重軽は3種類

  • 第一 治療すれども死ぬもの。死病という。
  • 第二 病んでいるが自力で治るもの。
  • 第三 慢性病で長い年月病んでいるもの。

「脈をもって生死存亡は知ることができる」としています。

東洋医学(特に鍼灸)では患者本人の自覚や主張がなくても予後の判断が可能であると考えます。「本人の自覚以前を未病」と考えるのであればそれは可能であるということになります。

 

『難経五十三難』

 

経に言う七伝の者は死し、間臓の者は生くとは何の謂ぞや…

 

この経というのは次に書いた『素問標本病伝論』のこと。

七伝とは相剋的に7回邪の伝変が進むことです。

 

未病という概念には一説には「伝変前の状態を指す」という考え方もあります。

つまり、発症が複雑になっていく前に治してしまおうという考え方です。ここでも本人の自覚はあまり問題視されないので厳密に言えば似ていますが、このことから「病気である」という概念の定義を明確にする必要性が出てきます。

 

『素問標本病伝論』(65)

 

本篇では疾病の標本、刺法の従逆、および疾病の伝変やどのようにして予後を予測するかなどについて述べている

「相剋の順序で伝わるものの多くは予後不良であり、間蔵・隔三四蔵の関係で相伝するものは予後が良好である」とあります。

(余談ですが難経五十四難には陰病は相剋的に伝え、陽病は相生的に伝えるとあります。陰は主に臓、陽は主に腑をいう場合が多いです。このあたりは治療において確認しておきたい点です。)

 

東洋思想でいう未病治に近い概念のヒント

『論語』衛霊公

人にして遠き慮(おもんぱか)り無ければ必ず近き憂い有り

(意訳)遠い将来のことまで考えずに目先のことばかり考えていると近いうちに必ず困ったことが起こる

すでに論語の段階で予見されている人間の行動パターンですね。

 

『中庸』

 

凡そ事豫(あらかじ)めすれば則ち立つ

(意訳)すべての事はあらかじめ準備しておくときはことがうまく運んで行く

 

中庸にも論語に似たニュアンスの言葉があります。未病の「未」とは違いますが「豫(予の旧字体)」があります。

そして易経で「豫」と言えば「雷地豫(らいちよ)」があるのでそちらの概念を確認します。

 

『易経』 雷地豫

 

  • 備豫(あらかじめ備える意味)
  • 悦豫(楽しむ意味)
  • 楽しみ怠るの意味

安舒(あんじょ;やすらか・ゆるやか)であるのが豫の卦のもつ意味だといいます。

「備える」から「楽しい」、「楽しい」から「怠る」という流れがあり、そして「怠る」ことを戒めて「備える」に循環すると言います。

ですから、「備えが出来た人」だから「楽しい」状態になります。このあたりは生活指導などにしっかり反映させて伝えたい内容になりますね。

 

『説文解字』 豫(豫は予の旧字体)

 

豫は象の大なる者なり

此れ豫の本義なり。大なれば必ず寛裕なり。故に事に先立ちて備う。之を豫と謂う。寛裕の意なり。寛大なれば則ち楽しむ

 

これも易経と同じように、寛裕であるから備えられる。備えられるから楽しむことができる。

つまり逆から言って「楽しみたいのであれば備えましょう」そして「備えるために寛裕(≒焦り・悩みを持ち続けない)を心がけましょう」と指導する意味があります。

 

さいごに

 

「未病」「未病治」という独自性のある概念は、時に換骨奪胎され違うニュアンスで広まる危険性をはらんでいます。東洋医学のこれからを危惧する者として、言葉や概念をしっかり共有し、そして実際に活かす方向に進展するよう呼びかけていきたいと思います。

また西洋医学的未病という言葉が早期発見と同じ意味で使われるとますます混乱に拍車をかけると危惧しています。(しかし、それは仕方のないことかもしれません。東洋医学の肝と西洋医学の肝臓は厳密な意味では違いますが同列にイメージされるようなものです。)

ですから、概念として予(あらかじ)めわかっている病と考え予病(よびょう)という概念を定義し普及していくのも手なのかな?と発言させていただきました。

当然、賛否まだまだ議論のあるところです。

 

  • 治療においては病気の定義の確認と伝変の概念を再確認すること
  • 臨床においては「備える」ことと「怠る」ことが同義となりえると指摘すること

 

このあたりが未病を治すうえで押さえておきたいポイントだと思います。

 

ここでの資料はほんの一部です。この投稿で未病のすべてを語ることにはなりませんのでその点、ご理解ください。

 

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マツモト コウイチ

東洋思想研究家でありUdemy講師でもあります。開業15年超の鍼灸師です。ビジネスから教育、エンターテイメントまで多くの人の成功と挑戦を東洋思想家として見渡しています。すべての投稿に関して講義講演が可能な内容となっています。居敬窮理(振る舞いを慎み、道理をきわめて、正しい知識を身につけること)を実践していこうと思います。

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