ビットコインはまだまだ発展途上、壮大な社会実験ともいえる状況です。その未来へのテクノロジーはさながらインターネット草創期の希望と興奮を喚起せずにはいられません。
私のような好奇心の塊だけで何の役にも立たない存在でもビットコインがある未来を支持するだけで世の中もっと面白くなるんじゃないかなって思っています。ビットコインの可能性「スゴイ」ですよ。
今回は私がビットコインを保有して3年前までの大きな事件・トピックは割愛します。それとは別に近いうちに起こることを考えておこうと思います。こういう予想をしておくのも未来を楽しむために大切なことだと思っています。
ちょっと前にあった危機
取引所のハッキング
現在進行系の問題がハッキング問題です。日本でも海外でもどうしても取引所は標的となります。
暗号通貨はその利便性から通常の銀行や証券などの金融機関よりもハッキングする側として魅力的に映ります。換金性や額面(盗める総額)、そしてセキュリティーの未確立な可能性からするとチャンスがあると感じてしまうでしょう。
最終的にはDEX(分散型取引所)にすべて移行しなければ解決しない問題かもしれません。
ビットコインの事実上の上限撤廃問題
ビットコインの発行枚数は2100万単位と設定されています。過去にプログラムのエラーもありましたが修正されて2100万単位というのは確定しているものです。
しかし、別の問題が起きました。
ビットコインの技術的な問題は哲学的な問題が背景にあって、ブロックチェーンのブロック詰まりを無くすための方法論で意見の相違がありました。ブロックを大きくする派とブロックのデータを圧縮する派の対立です。
このような対立は最終的に新しい展開で結論を得たのです。それはブロックチェーンを分岐してまったく別の道を歩むということです。もちろん、ビットコインがはじめてではありません。イーサリアムとイーサリアムクラシックがその前例としてありますし、分岐とは言えないかもしれませんが多くの暗号通貨はビットコインと同じような仕組みを踏襲したものがあります。
ですので、苦渋の決断となったのですが旧来のビットコインと新しいビットコインという普通のお金ではありえないことが起きてしまったのです。
投資家にとっては無料で新しい暗号通貨を手に入れることができて「ラッキー!」だと思った人も多いでしょう。それが言えるのも1回だけではないでしょうか。仮に分岐がそれぞれ2回起きたとしましょう。2の2乗ですから4つのビットコイン(仮)の誕生です。これで「4倍、超ラッキー」というわけにはいきません。
どの暗号通貨がメインに使うのか問題になります。投資家だけでなく消費者も企業も開発者も同じ悩みになります。つまり、生態系のように弱肉強食が起こるのですがどれが生き残るのかさっぱりわからなくなるのです。
そのような意味でビットコインが分岐して儲かるという話しではないのです。これは哲学的なことと技術的なことがあわさった本当の意味の奥の手なのです。(ですから毎回行われると困るのです)
実際、取引所でも分岐したビットコインを扱わないところもあります。管理が大変なこともありますし、業界としてNOと言っておかないとビットコインそのものの信頼に関わるからです。
ビットコインの誘惑
いわゆる草コイン。これが取引所で上場するとビットコインと同等の価値を持ちます。
誰かが投機として草コインを販売し、極めて小額でも値が付けばビットコインと交換可能になってしまうのです。この場合、草コインの価格は関係ありません。値がつくか否かということです。もちろん、取引所に上場すればその機会は広がるでしょう。そうでなくとも草コインはすぐに投機や詐欺の道具に変わってしまう可能性があるのです。
そのことからビットコインがいくら上限があっても購入する側が欲に振り回されたり悪意がある人が増えると手を変え品を変え草コインで一攫千金を誘惑する機会が増えるます。そして欲に振り回された悪影響がビットコインの信頼を貶める可能性があります。
ですので、今後は草コインの選別が進み「意味あるICOのコイン」しか上場した意味がなくなるでしょう。草コインの単なる上場ではビットコインとの換金性は限りなくゼロになります。これは遅かれ早かれトレンドとしてそうなっていくものです。草コインで一攫千金の夢はますます無謀な行動になるでしょう。
こうして数年の間にオルトコインブーム、ブロックチェーン分岐ブーム、ICOブームなど次々に問題を巻き起こしながら欲望は次なる波を待っているのです。(その波に心ときめかせないことが大切です!)
ビットコインは1000万円を超えるのか
金額のことをいうのは野暮だと思いますが、私が常々言っていることは「価値は一定、価格は心理」ということです。しかも、価値は一定どころか改善が可能です。日々修正を繰り返し試行錯誤できることがコンピューターサイエンスのスゴイところだと思っています。
また金額に関しては、いつか予想や想定を超えると思っています。それは設計上のことでです。ビットコインは価格があがる(というか、紙幣の価値が下がるのか…)言い方はいろいろありますが、ビットコインは設計上希少価値を有するようにできています。
そして、世界のインターネット人口は増え続けますし、ビットコインの安定性も時間が証明していくことでしょう。そういう意味では50年後に生まれた人にビットコインを買えるチャンスがあったこと自体が羨ましいと思われるかもしれません。このあたりは個々人の考え方によります。
そして、それらテクノロジーを理解した人ほど価値を認めます。
つまり、テクノロジーの浸透が進めば同時に価値が価格に反映されるものです。
いまは、単なる換金性のあるギャンブル程度にしか思われていませんが、徐々に社会のあらゆるところにブロックチェーンの技術が応用されはじめれば、好き嫌いに関わらず認めざるを得ない状況になるでしょう。
そして今ではインターネットを使うことが特別ではないように、ブロックチェーンを使うことが(隠れた技術として)当たり前になっていくでしょう。
ビットコインが1000万円を超えたら
瞬間的ではなく、常時1000万円を超えたら何が起こるでしょうか。(それは10万ドルでも100万元でも良いのですが、日本円で考えるともっともわかりやすいので1000万円といいますが…)
そうなるとおそらく単位の呼称が変わります。
例えば1BTC(イチビットコイン)ではなくて1mBTC(イチミリビットコイン)と呼ぶようになるでしょう。
m(ミリ)というのは数学の単位で1000分の1を表します。「1BTC1000万円なんて高いぞー」という世間の認識が「1mBTCが1万円かぁ」というように急激に使い勝手が良い数字になります。
そもそもビットコインを否定的に思っている人は少数第何位まで使えるか、などと知る由もありません。ビットコインを1ビットと呼ぶ詐欺師がまかりとおるくらいです。このように呼称の単位が変わると一気に身近に感じることになり、保有する人の心理がまったく変わってくるものです。1BTC買おうとした人が1000万円で断念しても1mBTC買おうとした人が1万円を出すのです。このようなちょっとしたことでも大きな影響になるでしょう。
1000分の1という意味で1000万円が区切りがわかりやすいのですが、もしかしたら呼称の変更が先で価格が追いつくのが後かもしれませんね。
1mBTCを9000円とか言うようになってから1万円に乗ったとか、そういう話題になるかもしれません。それまで日本人が主体で円建て表記やチャートのトレンドが円で動くままでいるのか引き続き注視していく必要はあります。
さいごに
あくまでも予想の範疇であり、投資や投機を煽るつもりはありません。
しかしながら、テクノロジーに賛同することがリアルにできる千載一遇の好機だと私は思っています。そして億万長者の考え方は決して短期決戦ではありません。平気で5年、10年と待てるのです。
ITバブル以降のアップル株が史上最高値になるまで何年かかったでしょうか。アマゾンの株がここまで高騰するまで何年かかったでしょうか。物事には流れがあり、そしてリズムがあります。
最短で億万長者になることを目指すより、確実に億万長者になることを目指した方が賢いと思いませんか?
そのようなタネをいくつか蒔いておけば人生がかなり楽しくなっていくのではないでしょうか。
マツモト コウイチ
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